続・倉敷川の水源

fig49

倉敷川の水源と思われる辺りの古い地図を調べてみました。寛保2年というと1742年です。倉敷川の左側に「新川用水」とあります。川のような用水路があることが分かります。

出展:高梁川流域連盟機関誌 高梁川第45号 昭和62年12月25日発行

  

1751年~1763年です。倉敷川は「汐入川」と表記されています。「汐入川」とはその名の通り、汐(潮)が入ってくる川です。かつて運河だったことが分かります。
そしてこの地図では、「新川」と書かれています。

出展:高梁川流域連盟機関誌 高梁川第45号 昭和62年12月25日発行

   

明治26年というと1893年です。ここでも「新川」と書かれています。

出展:高梁川流域連盟機関誌 高梁川第45号 昭和62年12月25日発行

    

どうやら、「新川」という川が倉敷川に流れ込んでいたようです。そてて、以下のような決定的な記述を発見しました。引用します。

宝永7年(1710)の「屋敷割絵図」では、倉敷用水は、東へ分水して倉敷川につながっている。昭和3年(1928)の「倉敷市新地図」でも新川が倉敷川につながっている。新川は昭和25年(1950)ごろ埋められて暗渠になったが、現在でも倉敷川へ分水している。

倉地克直監修『絵図で歩く倉敷のまち』吉備人出版

かつて倉敷川は、汐入川(運河)で、そこには「新川」という川が流れ込んでいたんですね。

美観地区入り口辺りは少し広々としています。両脇には土産物店が並び、人力車も行き交う、賑わいのある空間となっています。この空間の下に、新川が今も流れているということなんですよね。歴史を辿ると、いつも歩いている所がどんどん違って見えてきます。