番外編:ヒラタクワガタの幼虫を菌糸ビンへ入れ替える

幼虫は全部で9匹です。クヌギマットに6匹、菌糸ビンに3匹入れてあります。

2026年9月2日撮影 クヌギマットの幼虫
2026年9月9日撮影 菌糸ビンの幼虫

どちらも元気に成長しているようですが、クヌギマットの方に怪しい白い菌糸が‼ どうもこの菌糸はよくない菌糸のようです。菌糸ビンの主な菌種は、オオヒラタケ、ヒラタケ、カワラタケの3種類です。残念ながらクヌギマットに現れたこの菌糸は、これらの菌ではないようです。

菌糸ビンの方はとても順調です。茶色くなっている部分は幼虫が食べた痕で、もりもり食べているのがよく分かります。白い部分が2~3割になったら菌糸ビンの取り替えです。もう少しこのままでも良さそうですが、クヌギマットの怪しい菌糸問題があるので、一斉に新しい菌糸ビンに取り替えることにしました。

クヌギマットの幼虫👇

2026年9月9日撮影 ヒラタの幼虫(クヌギマット)

計5匹確認できました。1匹いなくなってしまいました。同じ時期に投入した幼虫とは思えないほどサイズに差があり、ちょっと驚きでした。

菌糸ビンの幼虫👇

2026年9月9日撮影 ヒラタの幼虫(菌糸ビン)

計3匹全員無事確認できました。サイズに大きな差はありませんでした。

幼虫がこれくらい大きくなると、オスなのかメスなのか、少し分かってきます。

例えばこちら👇

2026年9月9日撮影 ヒラタの幼虫(オス)

頭がとても大きいです。これは多分オス!クワガタの成虫の大あご(ハサミの部分)はメスと比べてオスの方がかなり大きいですよね。大あごを含む頭の部分は幼虫の頃から大きいというわけです。ちなみにゴキブリのようなクワガタのメスにもちゃんと大あごはあります。

新しい菌糸ビンに幼虫たちを投入です!

2026年9月9日撮影 ヒラタの幼虫(菌糸ビン)

550㏄2本に3匹ずつ計6匹、200㏄1本に2匹投入しました。幼虫たちが気に入ってくれるといいな(^-^)

美観地区のトンボ(2026年)

倉敷美観地区を散歩しているとトンボをよく見かけます。倉敷川のおかげでしょうね(^-^)

倉敷川源流付近👇

2026年7月2日撮影 コシアキトンボ
2026年7月15日 オオシオカラトンボのオス

「コシアキトンボ」と「オオシオカラトンボ」です。撮影日が違いますが、どちらも同じ木(桜)の枝の先にとまっています。倉敷川の上にスーッと伸びている枝で、トンボにとって丁度いい枝なんでしょうね。

2026年9月12日撮影 オオシオカラトンボのオス

倉敷物語館付近の「オオシオカラトンボ」です。かなり近くに寄って撮影することができました。人通りのまあまあある路地近くの柵の上にいるわけですが、動かずじっとしていましたョ。

次は赤いトンボ👇

2026年9月12日撮影 ショウジョウトンボのオス
2026年9月12日撮影 ベニトンボのオス

赤色のトンボなので「赤とんぼ」と言いたいところですが、どちらも「赤とんぼ」ではありません。トンボ科アカネ属のトンボが「赤とんぼ」のようです。「アキアカネ」や「ナツアカネ」が有名です。「ベニトンボ」は南方系のトンボで様子が少し違うので、いわゆる「赤とんぼ」ではないなと何となく分かるのですが、「ショウジョウトンボ」は「赤とんぼ」にしか見えません。見分けるポイントは、胸の側面に黒い模様があるかないかだと思います。「ショウジョウトンボ」には目立った黒い模様や筋がありません。

最後に「ギンヤンマ」です👇

2026年9月12日撮影 ギンヤンマのオスとメス

「ギンヤンマ」の連結産卵(交尾を終えた後、オスがメスの首根っこを挟んだまま水草になどに卵を産み付ける行動)です。画面左(前)がオスで右(後ろ)がメスです。「ギンヤンマ」の他にも連結産卵するトンボはいますが、大型のトンボ、ヤンマの仲間では「ギンヤンマ」のみのようです。ただ、状況によっては単独で産卵することもあるとのことです。

大原美術館:『風景』スーラ

スーラの作品だったとは。

大原美術館
ジョルジュ=ピエール・スーラ(1859—1891)
『風景』1883

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの画家
・点描技法を確立
・新印象派に分類される
・クロクトンを多数制作

スーラといえば、こちらの作品が有名です👇

シカゴ美術館
『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884—1886

美術や芸術の教科書にも広く掲載されていますね。細かい色の点を並べて描く「点描画法」を駆使しています。色彩科学や光学理論に基づいた表現手法で、パレットの上で絵具を混ぜず、キャンパス上に純色の細かい点を並べて網膜上で混色させるというものです。絵具をどんどん混ぜ合わせ灰色になってしまった経験はないでしょうか?灰色が目的の色なら問題ないと思いますが、そうでない場合、これはちょっと困ったことです。画面が暗くなってしまうからです。明るい自然光の空気感を表現をしようとして、印象派の筆触分割(絵具を混ぜずに筆触が隣り合うように配置)が登場しましたが、その原理をもっと科学的そして理論的に追求したのが点描画といえます。

『風景』は木炭で描かれた作品です。スーラの点描画法で描かれた作品ではありませんが、どうやら『グランド・ジャット島の日曜日の午後』と関連があるかもしれないという記述を見つけました!

スーラは一枚の完成作を仕上げるまでに、素描(クロッキー)や油彩下絵(クロクトン:スーラが代表作を仕上げる前に描いた小さな木板の油彩下絵のこと)を多数制作しました。全体的な構図を入念に検討したようです。当然、『グランド・ジャット島の日曜日の午後』制作のために素描や油彩下絵を描いていて、もしかしたらこの部分かも?というのです👇

画面左上の赤色の線で囲った部分です。いかがでしょう?筆者は似てると思います👍なんだかすごい。

『風景』1883は、児島虎次郎(洋画家であり大原孫三郎の友人。大原美術館の礎となるコレクションを集めた人物)が個人的に入手したものなんだそうです。スーラは1891年、31歳という若さで病死しています。一説には、過酷な点描画法で疲労し免疫力が下がったためではないかとも言われています。児島虎次郎も、1929年47歳という若さで死去していて、早逝ではあったものの過酷な点描に向き合い生き抜いたスーラに何か感じるものがあったのかもしれませんね。

大原美術館所蔵ではありませんが、『グランド・ジャット島の日曜日の午後』の素描をいくつか👇

メトロポリタン美術館
『釣りをする女性』1884
『グランド・ジャット島の日曜日の午後の習作』1884

どの部分か分かるでしょうか?
大作を仕上げる前のスーラの下準備はほんとに凄かったのだと思います。

大原美術館:『女の戦』『肱つく東洋の女』『混血の女』『マルティニックの女』マティス

大原美術館
アンリ・マティス(1869—1954)
『女の戦』1935
大原美術館
アンリ・マティス(1869—1954)
『肱つく東洋の女』1944
大原美術館
アンリ・マティス(1869—1954)
『混血の女』1945
大原美術館
アンリ・マティス(1869—1954)
『マルティニックの女』1947

【鑑賞の小ネタ】
・フォーヴィスムの画家
・「色彩の魔術師」と呼ばれる
・晩年は「切り紙絵」

アンリ・マティスは「色彩の魔術師」と呼ばれます。この「色彩の魔術師」、マティスの他にもそう呼ばれる画家は何人かいて、誰が一番の魔術師?と思ったりするのですが、多分、マティスが一番最初に思い付く「色彩の魔術師」ではないかと筆者は思っています。

今回は、色彩のイメージの強いマティスの線画に注目したいと思います。早速マティスの言葉です👇

私の線画は私の感動の直接の、もっとも純粋な翻訳である

BRUTUS Casa HP

色彩だけでなく、線に対するマティスの熱い気持ちを感じますね。

マティスの有名な作品をいくつか👇

ポンピドゥー・センター
『赤い大きな室内』1948
エルミタージュ美術館
『赤のハーモニー(赤い部屋)』1908
エルミタージュ美術館
『ダンスⅡ』1910

鮮やかな色彩はともかく、輪郭線をしっかり描いていますよね。それまでの西洋画における輪郭線は、現実の物体に黒い線のような境界線はないので、描かないのが基本とされています。でもマティスは輪郭線を描いているところをみると、マティスにとって輪郭線、そして線は、とても重要であったことがよく分かります。

ササッと描いたようなシンプルなマティスの線画の魅力とは何なのか、色々調べてみました。すると、マティスの線描は、無駄をそぎ落としながらもモデルの表情や雰囲気を見事に捉え、即興的な筆致と流麗なラインが女性の優雅さと内省的な雰囲気を際立たせている、という記述を見つけました。前出の線画4作品を見てみてください。シンプルな一本線で描いているのに、女性たちの性格や心情がなんとなく分かるような気がしてきませんか? 例えば、線一本で描いた眉です。この眉の長さ、太さ、位置が少しでも違えば全く違った印象の女性たちになることでしょう。ごまかしなしの一本線ですね。

      

では、ここからは筆者の妄想タイムです。
このモデルの女性たちは誰なんでしょう?候補に挙がるのは、マティスの妻のアメリー・パレイル、長女のマルグリット・マティス、モデルのリディア・デレクトルスカヤ、看護師のモニーク・ブルジョワです。

まずは『女の戦』です。1932年、ロシア移民であるリディア・デレクトルスカヤは制作助手として雇われます。その後モデルも務めるようになり、アメリーはマティスのリディアへの関心に気づきます。アメリーとリディアの関係は急速に悪化しました。ちなみにマティスとアメリーは1898年に結婚していて、1939年に別居しています。そして『女の戦』の制作年は1935年です。

左:マティス 右:アメリー
リディア・デレクトルスカヤ

次に『肱をつく東洋の女』です。制昨年は1944年ですね。リディア自身は長いブロンド髪に青い目、白い肌を持つ北国(ロシア)のルックスだったようですョ👇

リディア・デレクトルスカヤ

前出の顔アップのリディアの写真を見ると、髪の色は黒っぽく、東洋系に見えませんか? どうやらマティスは、リディアに様々な東洋の衣装をまとわせたりして、インスピレーションを得ていたそうです。多分モデルはリディアなんでしょうね。アメリーではないと思います。1939年に別居していますから。

『マルティニックの女』はどうでしょう? マルティニック(マルティニーク)とは、カリブ海に浮かぶフランスの海外県(海外領土)の1つです。住民の多くはアフリカ系黒人とヨーロッパ系などの混血(クレオール、ムラート)で、人口の大部分を占めているようです。この作品のモデルもリディアかなと思いましたが、目が違うような気がします。モニークはどうでしょう?マティスとの出会いは1941年です。癌の手術を終えて療養中だったマティスの看護師として雇われたのが始まりです。彼女は後に、ドミニコ会の修道女(シスター・ジャック=マリー)となります。

左:マティス 右:モニーク
『モニーク・ブルジョアの肖像』1942

『マルティニックの女』と『モニーク・ブルジョアの肖像』、スッとした目と髪のウエーブが似てるかなと思いましたが、モニークは1943年に看護師を辞め、修道院へ入っているのが分かりました!『マルティニックの女』の制作年は1947年なので、モデルはモニークではなさそうですね。修道女となってからもマティスとの深い友情と絆は続いていたようなので、想像で描けなくもないとは思いますが…。(※モニークとの出会いはマティス芸術の集大成、「ロザリオ礼拝堂」誕生へと繋がって行きます。)

    

シンプルな線の中に深い愛情を込めたマティスの線画、少しでも感じ取れるといいなと思っています(^-^)

番外編:お母さんヒラタのサイズを測る

お母さんヒラタのサイズを測ろうと思いました。ヒラタクワガタのメスのサイズは一般的に19mm~42mm前後のようです。そして、野生の平均は25mm~35mmとありました。ちなみに筆者の家のお母さんヒラタは野生です。

お母さんヒラタはとても元気なんですが、ちょっと落ち着かない様子です。捕まえようと手を伸ばしたら👇

木の穴に入ってしまいました。こうなったら大変です。ちょんちょん突いても、引っ張り出そうとしてもびくともしません。凄い力で穴の中に居座ります。
落ち着かない様子なので、少しクヌギマットを入れてやりました。

この間、15分くらい経過してますが、まだお母さんヒラタは穴に入ったままです。蓋をしてしばらくそっとしておきました。

約10分後、穴から出てきたところを捕まえて、やっと計測することができました👍計測は虫用のノギスで行いました。虫は動き回るのでノギスがあると便利です。

2026年8月20日撮影 お母さんヒラタの計測

34mmですね。野生のヒラタクワガタのメス的には、かなり大きい方です!子どもたちも大きく育つといいなと思います(^-^)