大原美術館:『イタリアの女』ドラン

全体的に茶色ですね。

大原美術館
アンドレ・ドラン(1880-1954)
『イタリアの女』1920年頃

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの画家
フォーヴィスムに分類される。
ヴラマンクと共同アトリエを設ける。
・後に新古典主義のリーダー的存在となる。

フォーヴィスム(野獣派、激しい色彩表現が特徴)の画家に分類されるドランですが、1920年代以降は全体的に落ち着いた色合いの作品を多く残しています。大原美術館の『イタリアの女』の制作年は1920年頃です。確かに抑え気味の茶色で描かれていますね。

ドランは初めから落ち着いた色で描いていたというわけではありません。激しい色で描いていた頃もありました。そのフォーヴィスム時代の作品がこちら👇

国立美術館 ワシントンDC
『チャンリグクロス橋』1906

ほんとに激しい色彩表現で、ザ・フォーヴィスムといった感じの絵ですよね。『イタリアの女』と同じ画家が描いたとはとても思えません。ドランは1900年にフォーヴィスムの立役者ヴラマンク(過去記事、大原美術館:『サン=ドニ風景』ヴラマンク)と共同アトリエを設けています。ほどなく、マティス(過去記事、大原美術館:『マティス嬢の肖像』マティス大原美術館:『エトルタ—海の断崖』マティス)とも親交を持ちました。フォーヴィスムの代表的な画家3人が出会い、そして共に活動していた頃があったんですね。展示の都合で3人の作品が同時に鑑賞できるか分かりませんが、見比べてみるとおもしろいと思います。

『イタリアの女』に戻ります。イタリアというからには、ドランとイタリアに何か関係があるのかなと一番に思いました。 調べてみると、ドランは1921年にイタリア旅行をしているのが分かりました。この旅行を機に、古典芸術への傾倒を一層深めたようです。『イタリアの女』の制作年は1920年頃、イタリア旅行は1921年なので、若干のずれが気にはなりますが、何か関係がありそうですよね。

ちなみに古典芸術への傾倒、つまり新古典主義(古典主義)とは何でしょう?ギリシャ・ローマ的世界観をリスペクトしたのがルネサンスでした。そのルネサンス時代の絵画を研究して独自の世界観を作り上げたのが新古典主義(古典主義)ということで大丈夫だと思います。新古典主義の特徴の1つとして、「色彩よりも正確なデッサンと安定した構図」というものがあります。きっちり描かれた昔の絵ってやっぱり良いよね👍って感じでしょうか?『イタリアの女』を見てみると、構図は安定しているし、デッサンもしっかりしていて、色よりもデッサンという新古典主義の特徴がよく表れていると思います。

他にイタリア絡みの作品がないか探していたら、見つかりました。

ポーラ美術館
『イタリアの風景』1920-1921年頃

そしてなんと、次のような作品も👇

『イタリアン ガール』1923

1923年の『イタリアン ガール』です。顔の雰囲気や姿勢(左右逆ではありますが)が『イタリアの女』と似ているように思います。髪も少しうねって黒いし、どちらの女性も若干猫背。同一人物なんでしょうかねぇ…? 何れにしても、ドランにとって印象的なイタリア女性だったことは間違いなさそうです。

ところで、大原美術館の『イタリアの女』の左手小指に注目してみてください。細ーい指輪がはめられているのが分かるでしょうか? 左手小指の指輪、何か意味がありそうですよね。どうやら左手小指は、チャンスを引き寄せ願いを叶える指なんだそうです。その他、人との絆を深め信頼関係を結ぶという意味もありました。なんだか凄いですね。そして、それらを叶えたい時は、指輪を装着すると良いという考え方があるということも分かりました。『イタリアの女』のモデルの女性が指輪をはめていた意図、ドランが描き込んだ理由は筆者には解明できませんが、左手小指の指輪の捉え方が上記のような意味であったとしたら、どうでしょう? 絵の中の小さな細ーい線が、とても意味のある線に見えてきませんか?この指輪があるかないかで、『イタリアの女』の見え方も随分変わってくると思います。

あれ?と思ったことを少し調べてもう一度鑑賞してみると、見え方が深まってよりおもしろくなるものだと筆者は思っています。絵画鑑賞あるあるです。今回もそんな作品でした(^-^)