美観地区の『今橋』

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倉敷美観地区内を流れている川、倉敷川は、倉敷川的には上流になります。過去記事でも書きましたが、倉敷川の水源とされる場所は倉敷美観地区内にあります。そして、最も水源に近い所に架かっている橋がこの「今橋」なんです。大原美術館前から旧大原家住宅前へ架けられています。

2020年3月撮影 今橋

【鑑賞の小ネタ】
・短期間で仕上げた橋
・「今橋」は大原孫三郎の字
・デザインは児島虎次郎
・設計は薬師寺主計
・龍の彫りに菊の文様

今橋を美観地区入り口方面(西側)から美観地区内(東側)へ向かって撮影したものです。「今橋」の文字が見えますね。その石柱の上に何か文様が描かれているのが分かります。

2020年3月 今橋と文様

「今橋」の文字は、筆・大原孫三郎です。大正15年、皇太子(後の昭和天皇)の訪問に合わせて、江戸時代末から架かっていた石橋を、橋の幅が狭い上に架設後100年を超えていたということで、大原孫三郎の資金援助により急遽架け替えています。それが現在の今橋なんです。なんと工期はわずか40日間だったと言われています。構造は、石橋のように見えますが実は鉄筋コンクリートで、その上に御影石を積んで仕上げています。

石柱の上の文様は、皇太子に敬意を払って、皇室の家紋である菊をデザイン化したもののようです。天皇家の家紋は十六葉八重表菊で、花弁(花びら)が16枚です。今橋の菊の文様は花弁が12枚になっていますね。皇室の家紋にはその他、菊の花弁が14枚のものもあったりするので、控えめに12枚にしたのでしょうね。

今橋の欄干には、龍の彫りが施されています。

2020年3月撮影 今橋
2020年3月撮影 今橋の欄干 龍の彫り外側

龍は縁起物で、しかも大原孫三郎の干支でもあります。立体的な彫り方をしていますね。欄干の外側は「浮き彫り」になっています。

  

2020年3月撮影 今橋の欄干 龍の彫り内側

欄干の内側です。外側より平面的ですよね。「線彫り」になっています。

龍の彫刻や欄干をデザインしたのは児島虎次郎です。児島虎次郎は画家で、大原美術館の絵を集めた人でもあり、大原孫三郎とは旧知の仲という人物です。ちなみに今橋の全体を設計したのは、総社の建築家、薬師寺主計です。

ところで、橋げたに字が刻まれているのを知ってますか?

2020年3月撮影 今橋の橋げたの刻字

大正十五年五月架之
 設計 児島虎次郎
 工事 藤木正一

ちょっと見えにくいのですが、しっかり刻字されているんです。実際は、設計:薬師寺主計、デザイン:児島虎次郎のはずですが、この刻字ではこうなっていますね。すぐには見つからないと思うので、じっくり探してみてください。

川に目をやると、今橋の下に魚が寄って来てました。

2020年3月撮影 今橋の下の魚

ニゴイとフナが写っているようです。美観地区内の倉敷川はとても管理されていて、ブラックバスやブルーギル等の外来種はほぼ見られません。錦鯉がほどよく泳いでいるようではありますが、基本、在来種が生息してる川と言ってよいと思います。アユの稚魚がいたという話を聞いたこともあります。そして、もちろん、美観地区内の倉敷川での釣りは禁止となっています。
※ニゴイは日本固有の淡水魚で、我々がよく見かけるコイは外来種です。