大原美術館:『燭台』パウル・クレー

pai131

黄色い絵だなと思いました。

大原美術館
パウル・クレー(1879-1940)
『燭台』1937

【鑑賞の小ネタ】
・燭台はどんな形?
・クレーはバウハウスの先生
・抽象画のカンディンスキーと友達
・晩年は病気で体が不自由

作品名は『燭台』なのですが、今一つピンときませんでした。燭台だと思って見てみると、中心にロウソクらしきものがありますね。そして藍色の炎がスッと描かれているのに気づくと思います。藍色がロウソクの炎だとすると、画面全体にちりばめられていることが分かります。ロウソクをいくつも設置できるとてもゴージャスな燭台なのでしょうか?または、中心のロウソクのみ燭台付で、シンプルな作りの燭台なのでしょうか?

燭台の全貌がはっきりしないので、視点を変えてみます。画面全体に幾何学模様が見えますね。丸、三角、四角も描かれています。

丸、三角、四角で思い浮かぶ絵といえば、日本人的には禅画かもしれませんが、ここはワシリー・カンディンスキーで行きたいと思います。

グッゲンハイム美術館
ワシリー・カンディンスキー(1866-1944)
『コンポジションⅧ』1923

カンディンスキーは、丸・三角・四角の基本形状をリズミカルに描く抽象画の先駆者です。そして、カンディンスキー (クレーより一回りちょっと年上 )とクレーは、「青騎士(主に表現主義の画家たちによる芸術家集団)」や「バウハウス(ドイツの美術と建築に関する総合的な教育を行った学校)」で、 1933年にナチスによりバウハウスが閉校されるまで、 共に活躍しています。長きにわたり活動を共にしているので、お互いに影響を受けていたかもしれませんね。

『燭台』と制昨年が同じ作品をいくつか紹介します。

『 Zeichen in gelb 』1937
ハンブルグ美術館
『無題(成長のしるし)』1937
東京国立美術館
『花のテラス』1937

クレーは、バウハウス閉校後1933年にスイスへ亡命しています。そして1935年に皮膚硬化症を発症しています。作品数は激減しましたが、1937年頃から復調し、手が不自由であるにも関わらず、精力的に多くの作品を残しました。

ベルン美術館
『パルナッソス山へ』1932

皮膚硬化症発症前、1932年の作品です。クレーの最高傑作の点描画(点や短いタッチで描いた絵)です。かなり細かいですね。この作品と比べたら、『燭台』などの1937年の作品は、線や形、色が単純化されているように思います。

クレーは1940年に亡くなりますが、大原美術館の『燭台』は、 皮膚硬化症発症後の 1937年の作品です。復調し多くの作品を制作し始めた年でもあり、なんとこの年、ピカソやブラックがクレーを訪問しているそうです。クレーも次世代に大きな刺激を与えた画家だったんですね。