大原美術館:『りんご採り』ピサロ

りんごを食べている女性がいますね。

大原美術館
カミーユ・ピサロ(1830-1903)
『りんご採り』1886

【鑑賞の小ネタ】
・この作品は第8回印象派展出品作品
・ピサロは印象派のまとめ役的存在
・ピサロは印象派展に全て参加
・この頃、若手画家スーラの影響あり
・女性の動きと地面の影に注目

ピサロは印象派に深く関わった画家です。印象派のメンバーの中では、年長者だったこともあり、まとめ役的存在でした。温厚な性格で人格者だったようです。そして、8回開かれた印象派展に全て参加したのはピサロだけです。

りんご採りがテーマになっている作品が他にもありました。

ダラス美術館
『林檎採り、エラニーにて』1888

ピサロは1884年にフランスのエラニーという村に移り住んでいます。アトリエは林檎の果樹園に続く庭の納屋を改装したもので、亡くなる年(1903年)まで制作を続けた場所のようです。

アシュモレアン博物館
『 View from my Window 』1888

アトリエからの眺めでしょうか? 農園風景が広がっていますね。

1884年エラニーに住み始めた後、1885年にピサロはジョルジュ・スーラ(1859-1891)に出会っています。スーラは新印象派を代表する画家です。ピサロより随分若い画家ですが、とても刺激を受けたようです。 教科書にも載るスーラの有名な作品がこちらです。

シカゴ美術館
ジョルジュ・スーラ( 1859-1891 )
『グランド・ジャット島の日曜日の午後』1884

印象派の筆触分割(原色に近い色を細かく配置)を、科学的にさらに細かく表現した点描技法で描かれています。よく見ると小さな点々がいっぱいです。とても根気のいる作業だったようです。当時、点描技法は周囲から不評でしたが、ピサロの強い推薦により、スーラの『グランド・ジャット島の日曜日の午後』 は、第8回印象派展に出品されています。 ただ結果的にこの印象派展は、印象派の終焉を象徴するものとなりました。

大原美術館の『りんご採り』の制作年は1886年です。スーラと知り合って1年後ということで、点描技法の影響がかなり見られるものの、1888年の作品ほどではないように思います。ちなみにスーラに出会う前年の作品がこちら。

ポーラ美術館
『エラニーの村の入り口』1884

かなり細かいタッチではありますが、完全な点描にはまだなっていないと思います。

  

ピサロは「大地の印象派」と呼ばれるそうです。確かに、ピサロの作品は空よりも大地が占める割合が多いですね。大原美術館の『りんご採り』に至っては、空が描かれていません。「大地の印象派」としての特徴がとてもよく表れた作品といえます。

大原美術館の『りんご採り』は、 ピサロ自身、そして印象派、新印象派の歴史を語る上で、とても重要な作品であることが分かります。大原美術館にとっても大変思い入れのある作品のようで、児島虎次郎がヨーロッパで収集してきた作品12点と交換してやっと手に入れた作品なんだそうです。(参考資料:大原美術館HP) 他の美術館からの貸し出し依頼もよくあるようですョ。

ところで、 大原美術館の『りんご採り』 の女性たちの動き、どのように見えるでしょうか? りんごを落とす人、拾う人、食べる人。まるで社会の縮図のようだと感じる人もいるようです。また、四角い不自然な影、これは何なんでしょうか?側に大きな建物があるのか、シートが張られているのか等、色々想像できますね。画面右下の葉っぱらしきものの影の中にりんごが落ちているのも気になります。そもそも、影自体が実際のものなのかどうかも謎です。寓意が有るような無いような、興味深い作品ですね。

ピサロはほどなく点描から離れ、印象主義へ回帰します。晩年の作品がこちら。

メトロポリタン美術館
『モンマルトル大通り、冬の朝』1897
『朝のマラカイズキー、晴天』1903

点描技法は見られず、 光や風、空気を感じる 筆触分割の ザ・印象派作品だなと思います。やっぱり印象派のまとめ役ピサロでしたね。

番外編:お茶目な動きのアルジイーター

どんどん大きくなるアルジイーター。川魚たちとは仲が悪そうですが、コリドラスには寄って行きます。

コリドラスはちょっと迷惑そうですが、スッと横に陣取ります。

アルジイーターは色んな所に張り付きます。

茎が細いウオーターマッシュルームの上はやめてほしいのですが、ドンッとよく乗っています。そして、一番面白いのが次の写真です。決定的な写真は撮れてないのですが。

水温計の下にアルジイーターがいます。水温計の先の青い部分を、ツンツン突きます。カタカタカタと音がします。最初何の音か分からなくて、なぜ水槽から変な音がするのか不思議でした。突くのが飽きたら、水温計の下を円を描くようにクルクル回ったりもします。まるで遊んでいるように見えます。

大きくなっても動きが子どものようなので、なかなか可愛い熱帯魚だなと思いました。 コリドラスは迷惑そうですが…。

大原美術館:『泉による女』ルノワール

ルノワール晩年の作品です。

大原美術館
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919)
『泉による女』1914

【鑑賞の小ネタ】
・フランスの印象派の巨匠
・女性の美を追求した画家
・『泉による女』は直接依頼した作品
・晩年は手が不自由

よく目にする絵はこれでしょうか?

オルセー美術館
『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』1876

第3回印象派展に出品された作品です。木漏れ日の表現等、話題を呼んだ作品です。厳しい批評もあったようですが、全体的に明るく楽しそうな雰囲気の作品だと思います。そして、ルノワール自身が「楽しい絵しか描かない」と豪語していたことは有名な話です。確かにルノワールの絵は、楽しく、可愛く、美しいものが多いですね。

作品に女性像(特に裸婦像)が多いのは、ルノワールがそれらのポリシーを貫いた結果なのかもしれませんね。大原美術館の『泉による女』は晩年の作品ですが、ルノワールらしい仕上がりになっていると思います。

『泉による女』には色々とエピソードがあるようです。1914年に満谷国四郎(岡山県出身の洋画家)が大原孫三郎(大原美術館設立者)の意を受けて、ルノワールの別荘を訪ね、作品制作の依頼をしました。この依頼には、児島虎次郎梅原龍三郎が深く関わっていると考えられています。そして安井曾太郎小川千甕 の2人の画家も同行したそうです。多くの日本の画家たちが関わっていたんですね。1年後に出来上がった作品を受け取りに行ったのは安井曾太郎です。後に安井曾太郎は、「・・・絵がまだ乾いていないので、持って帰るのに困ったね」と当時を振り返って話したそうです。(参考資料:大原美術館HP)

また、『泉による女』は、はじめ全裸だったそうです。日本は検閲がうるさそうだからとルノワール自身が白い布を描き加えたといいます。依頼品ということもあり、ルノワールの細やかな気遣いを感じるところです。

同じ1914年に制作された別の裸婦像があります。こちらです。

アーティゾン美術館(ブリヂストン美術館)
『すわる水浴の女』1914

女性の視線、白い布の位置、ポーズなど違いはありますが、とてもよく似ていると思います。現在はアーティゾン美術館に所蔵されていますが、そもそも 岸本吉左衛門(大阪の老舗鉄商の5代目)が買い求めたものなんだそうです。白い布の上に座っていますよね。完成した作品を購入したということなので、 依頼されて制作した『泉による女』に見るような白い布の位置に対する配慮は特に感じられません。

ところで『泉による女』と『すわる水浴の女』のモデルの顔に注目してみてください。似てると思いませんか?妻アリーヌの親戚で家事手伝いのガブリエル・ルナールではないかと最初は思いました。晩年のルノワールのよきモデルとなった人物です。200点近くの作品に登場しているようです。ガブリエルと名が作品名に入っている作品がこちら。

オルセー美術館
『薔薇を持つガブリエル』1911

どうでしょう?髪の色と目の色がちょっと違いますね。ルノワールの晩年は、歩くことが難しくなり、また関節リウマチにより手が変形したため、包帯を巻いて絵筆を握ったといわれています。そのような状況に対応できるのは、やはり家事手伝いでありモデルだったガブリエルなのではないかと考えたのですが。

色々調べると、ガブリエルが家政婦として共に暮らしたのは、1914年くらいまでだったようなので、ちょっと微妙だなと思いました。そして最終的に、アンドレ=マドレーヌ・ユシュラン (通称デデ)にたどり着きました。ルノワールの死後1920年に次男ジャンと結婚する女性(後の女優カトリーヌ・エスラン)です。

『一杯のコーヒー、アンドレの肖像(デデと呼ばれる)』1917

ガブリエルが結婚してルノワールの家を出て行った後、ルノワールはデデをモデルに(裸婦像も含め)多くの作品を描いたそうです。ルノワール最後のモデルといわれています。髪の色、目の色、肌の様子等、よく似ていますね。

大原美術館の『泉による女』のモデルはまだ少女の雰囲気がありますよね。下半身にはボリュームがありますが、上半身は大人の女性にしてはきゃしゃな感じがします。アーティゾン美術館の『すわる水浴の女』も同様です。デデは1900年生まれなので、1914年の頃は14歳ということで少女です。色々当てはまっているように思います。

ちなみに、日本で一般に公開された初めてのルノワールの油彩画は、『水浴の女』のようです。このモデルはデデではないでしょうね。1907年というとデデは7歳なので。

アーティゾン美術館
『水浴の女』1907年頃

最後に、ルノワールの最晩年の名言です。
…ようやく何か分かりかけてきたような気がする。私はまだ進歩している」 です。レジオン・ドヌール勲章を受章 するなど、生前から高い評価を得ていたルノワールですが、最期まで 満足することなく 芸術を探求し続けた人生だったようですね。

番外編:水槽の水質検査

コリドラス・パレアトゥス(青コリ) が謎の死を遂げました。昨日まで元気だったのに、今朝見たら、お腹が赤くなっていて、瀕死の状態でした。熱帯魚がよくかかる病気「エロモナス」かなと思いました。エロモナスは水槽の中に常にいる常在菌で、エロモナス感染症発症の原因は、主に水質悪化とストレスです。

それにしても、病気にしては展開が早過ぎました。何かおかしいと思って赤くなったお腹の部分をよく見てみると、ぼやっと赤いのではなく、鮮血に近い赤さでした。これはもしかしたら、川魚がつついたのかもしれないという疑惑が生まれました。もしそうだとすると、病気ではなく外傷ということになります。しばらく観察したんですが、特につつく様子もなく、真相は結局明らかになりませんでした。

  

水質については結構自信があったのですが、久しぶりに検査してみることにしました。理科の実験のようで、筆者的には結構好きな作業です。市販の検査キット(BICOM )を使うことにします。

まずはpHです。弱酸性を好む魚を入れているので、目標は6.0~6.5(※アクアリストによって多少前後する)あたりです。

BICOM  pH KIT

6.0~6.5の間くらいの色でしょうか?pHは大丈夫だと思います。水草も弱酸性を好むので問題なしですね。 次はアンモニアです。

BICOM  アンモニア

0.2でしょうか?バッチリですね。アンモニアは毒性が強いので、この数値が高いと絶対ダメなので良かったと思います。次は亜硝酸です。

BICOM  亜硝酸

これも、ほとんど検出されてませんね。アンモニアの次に毒性が高いので安心しました。次に硝酸です。

BICOM  硝酸

出ました。10~20あたりでしょうか? 硝酸の毒性は、アンモニアや亜硝酸ほど高くないとはいえ、これは問題ありです。対処法は色々あるのですが、まずは、水替えの質をよくすることだと思いました。現在、週1ペースで水替え(水槽の水3分の1程度)をしています。通常はこれで問題なしだと思います。これ以上回数を増やすのは濾過バクテリア的にもあまりよくありません。濾過バクテリアは、有害物質のアンモニア、亜硝酸、硝酸を分解してくれるとても大事な存在なので、過度の水替えによって、減らすようなことがあってはいけないというのがアクアリストの常識なんです。

最後に底砂の問題です。現在ソイル(土のような底砂)を使用しています。しかも厚めに。ソイルは水草に適していて、コリドラスのヒゲを傷つけることもないので、大丈夫のように思うのですが、実は賛否両論なんです。濾過バクテリアが分解しきれなかった有害物質を蓄積しやすいという致命的な欠点があるんです。現在の状態でできることは、ソイルを洗いながら水替えをするということになると思います。水替えと底砂掃除が同時にできるクリーナーポンプがあるので、それで頑張ってみます。それでもだめなら、底砂(ソイル)を薄くしたいと思います。

何か変化がありましたらまた報告します。

大原美術館:『水浴』セザンヌ

森の中でしょうか? 何かを見ているようですね。

大原美術館
ポール・セザンヌ(1839-1906)
『水浴』1883-1887

【鑑賞の小ネタ】
・絵のサイズは小さめ
・画面の中に三角形の構図あり
・「水浴」がテーマの作品多数
・セザンヌの「水浴」シリーズには
 珍しく男性の姿あり

絵のサイズは20×22.1㎝です。美術館内で実際見てみると、かなり小さい印象です。セザンヌの作品なので、もちろん存在感はありますが。
セザンヌは、絵画の構成をとても熱心に研究した画家でした。「水浴」では三角形の構図を取り入れています。

見た通りをそのまま描くのではなく、画面を構成するモチーフ(この場合、木や人体)が三角形になるように再構成しているそうです。

なぜ三角形なのでしょうか? 古くから三角形は、見る人に「安定」感を与える形なんだそうです。そういえばエジプトのピラミッド、かなり安定感ありますよね。どっしりとしていて完璧です。そして物理的にも、物を作る際に「安定させるためには三角形を作ること」とよく言われますよね。

出展:iichi 小さい鉄の棚受け金具

セザンヌの三角形の構図がとてもよく分かる作品がこちら。

フィラデルフィア美術館
『大水浴図』1898-1905

ピカソやマティスもセザンヌの水浴図を所有していたそうです。
ピカソは何点か持っていて、その1点がこちら。

ピカソ美術館
ポール・セザンヌ
『5人の水浴の女たち』1877-1878

そしてマティスが所有していたのがこちら。

パリ市立プティ・パレ美術館
ポール・セザンヌ
『3人の水浴の女たち』1876-1877

セザンヌの大胆な試みは、画家たちを刺激しました。「水浴」に触発されて制作したピカソやマティスの作品も残っているようですョ。

大原美術館の『水浴』は、最終的に大原美術館に所蔵されたもので、そもそも日本画家の土田麦僊が所有していたものなんだそうです。土田麦僊がヨーロッパ旅行中、大変ほれこんで購入したそうです。1921年から1923年にかけて旅行しているので、この期間中に購入したということになりますね。(参考資料:大原美術館HPより) 『水浴』購入後の土田麦僊の作品がこちら。

京都国立近代美術館
土田麦僊(1887-1936)
『大原女』1927

土田麦僊 の1923年以降の作品の中から、三角形の構図が顕著に見られるものを選んでみました。女性3人が三角形の構図で描かれているように見えませんか? 安定感がありますね。そして、森の中の感じも『水浴』に似ているように思います。

勢いのある画家たちに影響を与えた「水浴」シリーズですね。