大原美術館:『パリ郊外-サン・ドニ』ユトリロ

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白、茶、グレー、黒、筆者的にはとても落ち着く色合いです。

大原美術館
モーリス・ユトリロ(1883-1955)
『パリ郊外-サン・ドニ』1910

【鑑賞の小ネタ】
・「白の時代」の作品
・人の姿は小さく描かれ建物が中心
・母親はモデルで画家のヴァラドン
・アルコール依存症に悩まされた人生

一見、人が1人もいないような絵に見えるのですが、画面左側奥に何人か描かれています。街路樹の下に、棒のような黒い影で描かれていて、なんだか輪になって話し合っているように見えませんか? 日常の井戸端会議でしょうか?もしかしたら、何か重要なテーマの集会なのかもしてませんね。

『パリ郊外-サン・ドニ』は、ユトリロの「白の時代」と呼ばれる時期の作品です。この時期のユトリロは白色を多用していて、全体的に白っぽい仕上がりとなっています。パリの風景を対象としたものが多く、通りの建物がとても雰囲気良く描かれています。ユトリロが使用した白色の絵の具には、石灰や砂、卵の殻などが混ぜられていたといいます。 漆喰の質感を表現した ユトリロこだわりの白だったようです。「白の時代」の作品のには、派手な色があまり使われいなくて、また、人の姿も小さなシルエットぐらいで基本的にあまり描かれていません。

「白の時代」の全盛期は 1909年から1912年の間で、ユトリロの画家人生の絶頂期だったといえます。『パリ郊外-サン・ドニ』の制昨年は1910年なので、まさにこの時期の作品というわけですね。建物中心で色味もおとなしく、好みが分かれる画風かもしれませんが、筆者的にはこの時期のユトリロの作品が好きです。

次の作品も1910年です。この作品は全体的に白っぽく、遠くに人の影が有るような無いような。「白の時代」の特徴がよく表れている作品だと思います。

『モンマルトルのノルヴァン通り』1910

リトグラフ(石版画)ですが、『パリ郊外-サン・ドニ』 とほぼ同じ構図の作品がありました。こちらです。

『サン・ドニ』
リトグラフ

制昨年が分からなかったのですが、多分、「白の時代」より後の作品だと思います。(※「白の時代」の作品をリメイク?して、リトグラフ等の作品にしていたようです。ユトリロ自身はもしかしたら不本意だったかもしれませんが。)「白の時代」が過ぎると、だんだん色味が出てきます。明るくなったように見えるのですが、ユトリロ自身の生活はそうでもなかったようです。

ユトリロの母親は、モデルで画家のシュザンヌ・ヴァラドンです。恋多き女性で、一時期ロートレックとも深い関係にありました。ユトリロはヴァラドンの私生児として育ちました。本当の父親は謎のままですが、7歳の時、スペイン人の画家で美術評論家のミゲル・ウトリリョに認知されています。家を空けがちなヴァラドンに代わり、ヴァラドンの母親がユトリロの世話をしたそうです。複雑な家庭環境からか、 ユトリロは10代の頃よりアルコール依存症で苦しみました。

ユトリロは、女性や人に対するコンプレックスがあったように思います。それが理由なのか分かりませんが、ユトリロの描く人物は、シルエットのみか後ろ姿が多い傾向にあると思います。たとえ正面を描いたにしても、顔の表情はよく分かりません。また、ユトリロの人物表現でもっとも特徴的なのは、女性の腰回りをとても大きく描くところです。女性に対するユトリロの思いを表現したものとして、これまでに様々な見解が持たれています。筆者としては、腰回りの大きさは女性の象徴でもあるので、やはり、マザーコンプレックスを具現化したものではないかと思っています。

ユトリロ晩年の作品がこちらです。色が多いですね。人物もかなり描かれています。

『モンマルトルの灌木』1947

ヴァラドンは1938年に亡くなります。ユトリロの人生の1つの区切りであったはずなのですが、そうでもなかったようです。というのも、ユトリロは、母親ヴァラドンとその周辺の人間たちに、生活を管理、監視されていて、常に多作を要求されていたそうです。それは、母亡き後、妻も同じであったといいます。

最後に、ユトリロの絶筆作品です。

個人蔵
『コルト通り、モンマルトル』1955

亡くなる2日前に描かれたそうです。人の姿は見えません。優しい絵だなと思いましたが、少し寂しい感じもしますね。