美観地区の『常夜燈』

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常夜燈は、中橋と川舟乗場の間にあります。

2020年4月撮影 常夜燈

ベストポジションで設置されています。写真奥には、中橋や倉敷館(観光案内所)が見えます。常夜燈には文字が刻まれています。こちらです。

2020年4月 常夜燈の刻字

寛政三年、常夜燈、倉敷 講中、金毘羅大権現 と刻字されています。寛政三年は1791年で、講中(コウジュウ)とは仏事や神事を行うための信仰者の集まりのことです。そして、金毘羅大権現(コンピラダイゴンゲン)は香川県琴平町の金刀比羅宮(通称こんぴらさん)にまつられる神のことです。海神として船乗りなどの信者が多いそうです。

この常夜燈は、倉敷川が運河だった頃、運河(川)をさかのぼる船の目印となるよう「川灯台」として寛政3年(1791年)に設けられたものです。大正初め頃まで、毎晩灯火されていたと言います。元は、当時の前神橋(美観地区最南端の橋)の船着場に設置されていたそうで、昭和33~34(1958~59)年頃、現在の位置に移設されました。

元の設置場所が妙に気になり、調べてみました。現在、美観地区の最南端には、2本の橋が平行に架かっています。「高砂橋」と「前神橋」です。高砂橋は歩行者専用の石橋で、前神橋はアスファルトで舗装された自動車が通行可能な橋です。そして常夜燈は前神橋の東詰(東の隅)にあったとされています。これがややこしいのです。現在の前神橋の東の隅というとこちらになります。

現在の「神前橋」の東の隅

写真中央なのですが、どうもピンときません。どうやら、現在の前神橋は、昭和29年(1954年)に新しい前神橋として古い前神橋の下手に並行して新たに架けられたものなんだそうです。つまり、現在の高砂橋の位置に架かっていた橋こそ、かつての前神橋で、この橋の東の隅に常夜燈があったということなのだと思います。

となると、現在の「高砂橋」の東の隅に常夜燈はあったはず。

「常夜燈」元の設置場所予想図Ⅰ

写真左が高砂橋です。奥が東方向になります。この写真ではギリギリ見えませんが、右側が現在の前神橋です。自動車が通っているのが分かります。写真中央の黄色の楕円辺りに常夜燈はあったのではないでしょうか?昭和初期の地図を見てみます。

出展:「絵図で歩く倉敷のまち」吉備人出版 
巻末折込み 「市制記念 倉敷市新地図(昭和3年)」の一部

オレンジで囲んだ部分がかつての「前神橋」だと思います。まだ橋は1本ですね。現在の地図はこちら。

出展:倉敷物語館前の立て看板
岡本直樹「倉敷川畔美観地区鳥瞰絵図」の一部

オレンジで囲んだ部分は現在の「高砂橋」です。微妙な位置が今一つ分かりにくいのですが、橋の右側(東側)の細長い土地に注目です。どちらの地図にもあります。昭和3年の「倉敷市新地図」をよく見ると、「無料診療」と書かれています。公的な診療所があったみたいですよ。

2020年4月撮影 細長い土地

現在もこの細長い土地は残されていて、複数の植え込みがあるのが分かります。ポストや公衆電話もありますね。少し話が逸れてしまいましたが、両方の地図を見比べてみてください。細長い土地や建物、橋や道、これらの位置関係から、「常夜燈」の元の設置場所はまずここで間違いないと思います。

「常夜燈」元の設置場所予想図Ⅱ

※常夜燈は、昭和29年(1954年)の新前神橋の改修に伴い、一度解体されているようです。