美観地区にかつてあった茶屋山(城山)

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倉敷アイビースクエアの北東辺りに、かつて小さな山があったのを知ってますか?古地図で確認してみると、確かにありました。

出展: 倉地克直『絵図で歩く倉敷のまち』
   窪屋群倉敷村屋敷割絵図(1710年) の一部

この地図では「茶屋山」と書かれていました。「城山」とも呼ばれたといいます。小高い丘のような山だったのでしょうか?以前から気になっていて、今でもその名残がないか、倉敷アイビースクエアの北東部周辺を散策してみました。

アイビースクエアの石垣と薄い水色の歩道橋

北東に行くほど石垣のサイズが大きくなり、段も縦に一段増えていて、緩やかに傾斜しているのが分かります。これは「茶屋山」の名残と考えていいのではないかと思います。薄い水色の歩道橋も架かっていますね。この歩道橋を渡って、倉敷市民会館方面へ行くことができます。

薄い水色の歩道橋 倉敷アイビースクエア側

歩道橋の欄干に注目してください。この形、どこかで見たような…。

薄い水色の歩道橋の欄干

「龍」をかたどっているのだと思います。ヒゲまでちゃんとあります。過去記事でも紹介しました「前神橋」の欄干に似てますよね。龍は縁起物で、しかも大原孫三郎の干支でもあるので、美観地区内の橋には、龍のデザインが施さたものをよく見かけるのですが、ここにもありました。倉敷アイビースクエアの奥まったところにある歩道橋なので、ちょっと分かりにくいかもしれませんが、興味のある方はぜひ行ってみてください。なかなかかっこいい龍ですョ。

ちなみに、「茶屋山」の名前の由来は、大名茶人であった小堀遠州の茶屋があったからといわれています。