ミュシャのリトグラフ(石版画):四季(1900)『春』②

ミュシャのリトグラフ、四季(1900)『春』のモデルは誰なのでしょうか?過去記事(ミュシャのリトグラフ(石版画):四季(1900)『春』①)で紹介しましたが、『四季』のモデルたちの顔や身体を比較した時、この1900年の『春』の女性だけ、様子が他と少し違うと筆者は思っています。何か特別なモデルだったのではないかと。

アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)
四季『春』1900

芸術家には、ミューズ(本来はギリシャ・ローマ神話の芸術の女神達のこと。今日、よく耳にするミューズとは、芸術家に創作意欲を刺激する女性のことを指す。)の存在は欠かせませんよね。ミューズが誰なのか、詳細に分かっていることも多くあります。ピカソには何人ものミューズ(モデル)がいたことは周知の通りです。

1900年あたりでミュシャのモデルをよく務めた女性は誰だったのでしょうか?モデル(ミューズ)が芸術家の妻なることはよくあることなので、ミュシャの配偶者について調べてみました。1906年にマルシュカ・ヒティロヴァ―という女性と結婚しています。1903年にパリで出会ったようなので、1900年の『春』のモデルではなさそうですね。

マルシュカと結婚する前に8年間付き合っていた女性がいました! 時期的には合いますね。フランス人のベルト・ド・ラランドという女性です。職業はウエイトレスだったようです。ミュシャはベルトをモデルにして、写真やイラスト、絵画を多く残しています。

ベルト・ド・ラランド
『ベルト・ド・ラランドの肖像』1902年頃

どうでしょう? 『春』の女性と似ているような似てないような…。モデルがベルトとは断言できないのですが、多分ベルトではないかと思われる素描をもう1点。こちらです。

『少女と鳩』1899

この素描の女性がベルトではないかと判断した理由は、白鉛筆を効果的に使用した画風とサインです。ミュシャのサインの形状は色々あります。例えばこちら。

薄い紙に鉛筆、白鉛筆の予備スケッチ 1905

そして前出のベルトがモデルと思われる素描のサインがこちら。

違いがよく分かるのではないかと思います。

   

ということで、改めて比べてみます。
少女漫画風のパッチリ目というよりはスッとした目元。目と目の間は程よい間隔。(ミュシャの描く女性の目と目の間隔は、結構広めではないかと筆者は思っていて、その点、1900年の『春』の女性はどちらかというと狭い方なのかもしれません。)顎のラインはシャープですっきり。そして、鼻筋と口元がとても似ているように思います。

ミュシャの妻マルシュカと結婚する前8年間交際していたベルト。交際が重なった時期もあるようです。 ミュシャ結婚後、再び会うことはなかったと言われていて、引き際の潔さを感じます。 ミュシャと別れた後は、一度も結婚することなく1957年に亡くなったそうです。 少し悲し気ではありますが、とても意志の強い女性だったのではないでしょうか。1900年『春』の女性の目力にも通じるような…。

以上のことから、1900年『春』のモデルは、筆者的にはベルト・ド・ラランド推しです。